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KAIKOBUNROKU

KIKOUBUN

■新しい世界に飛び込むお子さんをお持ちのお父さん・お母さんへ

子どもを育てるのに、どんどんと知識・経験を詰め込んであげるという考え方と、子どもの中から、引き出してあげるという考え方があります。
どちらがいいとは簡単に言えることではありませんが、子どもという器の口が子どもの意思によって閉じようとしていると、詰め込むことも、引き出すことも困難になります。
器の口が大きく開かれて、なんでも吸収し、何に対しても興味を持つのが子どもの生きる力の表れだと思います。

ヒトには、生まれてすぐ母乳を吸うことができるというような本能的な能力と、経験から身につけていく学習という能力がある。
その能力をより多く、より高くという、より上質を求めるという生きる力が、ヒトという生き物には身についているのではないだろうかと感じています。

とすると大人の役目は、何をすることなのでしょう。

小学校に入る前に、ひらがなを読める子もいます。小学校で初めて習う子もいます。
一緒に教えることは大変ですが、それをするのが教師というプロの仕事。
親としてしてはいけないことは、先生の話を聞こうとしない、器の口をつぼめてしまう子どもにしてしまうことではないでしょうか。

新しいことにぶつかったときの子どもの判断基準は、日ごろの家庭の中の会話、親の考え方がベースです。そしてその結果から学習していくのは子ども自身です。

新しい世界に飛び込んだ子どもは、初めておもちゃの取合いをするというような経験から、他人と一緒に生きる力(社会性)が身についていきます。
新しい世界に飛び込むということは、驚きの体験が成長につながっていくのだと信じてあげることです。子どもの成長に必要なのは、家に戻ったら、安心してぐっすりと休めるという環境を与えてあげることでしょう。
ゆったりと安心した環境で充分眠ることが、脳が一日の活動を整理して子どもの能力に変えていく作業を助けることなのですから。

平成22年2月

後藤 光雄

三重県子ども局
子育て子育ち 応援通信の「つくしんぼ」コーナーに寄せて

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■褒めて育てる

後藤光雄

 お子さんが持ち帰る答案の点数は気になります。

でも、点数だけを見ていませんか?

満点なら安心して、悪いときに叱るのは親の勝手な都合ですよね。

大切なのは、子どものやる気。

わかること、知ることの面白さを身につけられたら最高ですよね

 そう遠くない昔。

 ぼくにとって学校は、勉強と遊ぶ所だった。

泣いたり笑ったり怒ったり、いろんな事があり、いろんな子がいた。

 授業が終わり、日暮れまで遊んで家に帰ると、仕事から帰った両親がまだ畑仕事をしていた。

「先生の言うことをよく聞け」「勉強が仕事」

と言われていたが、手伝うのが当たり前だった。

 得意な長距離走で、賞品を持ち帰ると一緒に喜んで褒めてくれた。

「次も頑張ろう」と思った。

一番じゃなくても、褒めてくれた。

「もっともっと頑張ろう」と思った。

褒められたくて、喜んで欲しくて頑張った事が、いつしか自分の力になっていた気がする。

「つくしんぼ」平成20年度第2号

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■教育部会の思い出

            8代部会長 後藤光雄(鈴鹿JC・OB)

 チャーターメンバーとして教育部会に参加させていただいていた私は、5周年記念事業の実行委員長を経て第8代の部会長を務めさせていただきました。5周年を記念して海外研修を実現せよという命令を受けて、2年がかりで準備させていただいた関係で、4回参加させていただいた海外ミッションの思い出が大きく残っています。

 私は、ドイツ、イギリス、スウェーデン、オーストラリアの視察に参加させていただきましたが、自分でドイツのOIK.とやり取りして企画したドイツミッションが実現できたことが、教育部会との心の結びつきを強くしてくれていると思っています。ミッション最終日に結納の予定を入れたまま一緒に渡独してくれたMさん。帰りは団体から外れてお帰りいただきましたが、参加してくださった友情を私は一生忘れません。

 ミッションの感想は、後藤光雄のホームページをご覧いただきたいと思いますが、ドイツミッションの報告の最後に私が綴った言葉をここで皆さんにお伝えして、今後のJC活動の糧にしていただけたらと思います。

『世を変えるのは、先のない老人ではなく、先を憂えることの出来る若者の任務だ!
自分の力はちっぽけかもしれない。けれど何かをしなければ、仲間さえも見つけることが出来ない。
勝者は、勝者と集まる。そこで話されていることは常に前進することだ。
敗者は、敗者と集まり、そこで話されているのは愚痴ばかりだ・・・・』

(社)日本青年会議所 教育部会 20周年記念誌より

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■「地震予知」から学ぶこと

                    第二さくら幼稚園 後藤 光雄

「後10秒で、震度7の揺れが起こります」と、テロップが流れる・・・
あなたならどうしますか?

 震度5以上の地震が起こると毎秒7kmのスピードで伝わる初期微動と毎秒4kmのスピードで伝わる主要動のずれを利用して、例えば100km離れたところが震源の場合「後11秒で震度○の揺れが起こります」といった地震予知が、今年の9月以降システム化されると2月末に報道されました。

 10秒しかない・・・。10秒あれば・・・。あなたはどう考えますか?

 10秒あれば火も消せる。家具、電燈など落下や飛散するものから身を守る安全な場所を見つけることも出来ます。
地震の起きる時間、あなたのいる場所によって対応が変わってきます。
 家族そろった食事の最中・・・勝手知る我が家?あるいはレストラン?
 幼稚園、学校、会社それぞれに活動している時間帯・・・部屋の中?外?
 その通勤通学時間の途中だったら・・・電車、車の中?歩いているときだったら?
 就寝中だったら・・・我が家?旅先?

 国は、全国約1,000箇所に備えた観測所のデータを瞬時に分析して地震予知するシステムを構築しています。
あなたが、どこにいても危険告知を受けられるシステムを構築するのは、地方自治体の役目でしょう。
私たちは、自分や家族の命を守る方法を、自分達なりに準備をしておく必要がある。
地震が治まったら、近所の人たちと助け合い生活の確保、復旧の役目も必要です。

 物の準備だけでない、心の準備、場面予想した備えが必要だと教えられている気がします。
30年以内に60%の確立で起こるといわれている東海・東南海地震。この太平洋プレートのズレ以外の地震も起こりえます。まして内陸の直下型の地震では、地震予知することも出来ない。
 大切なのは、地球の時間と人類の時間の違い。地球と人間社会の関係に気を止めて考えるみること。(これが、本来学校で学ぶべき最大で最低限のことだ!)
子供たち、ひいては人類の未来を守るために、今何をしておかなければならないか、自分のレベル(自助)から家族、近所のレベルまでぐらい(共助)は、親の務めとしてしっかりしておく必要があるということだと思います。

 そうすれば子どもが置かれる状況が随分といい方向に変わってくれる気がします。

平成18年度三重県家庭教育推進協議会報告書より

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■大人の時間・子どもの時間

 オーストラリアから日本語の勉強に来ていた家族の事です。
子どもは、5歳。夜8時になると『さあ、寝なさい!』とベットへ行かせるのです。『子どもは寝る時間です』というはっきりした態度に、子どもも従順です。
 自立させるために、ルールを守らせる子育てだったのでしょう。今日は面白いテレビ番組があるから・・・お客さんが来ているから・・・といった妥協がないのです。
 ついつい自分達の生活ペースで子どもの時間を勝手に振り回す子育てをしている自分達の姿と比較したものです。
 18歳になると、親の元からの自立を責められるお国柄と、家族としての生活を重視するわが国との習慣の違いに相違ないけれど、私達の欲求だけは、子どもを寝かしつけた後の、夫婦の時間、大人の時間を楽しめないのは、子どものせいだとしていないだろうか。
 子どもの時計と大人の時計を同時に動かすために、ベビーシッターなどの仕組みが出来たのでしょう。
 家族が増えれば時計の数も増えます。お互いを尊重しながら楽しい時間を作り出すための、ルール作りが大切なのかもしれませんね。
 我慢することで喜びが大きくなる事って、そういえばたくさんあった気がしています。

平成18年度三重県教育委員会パンフレット 「つくしんぼ」第1号寄稿文

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■未来の鋼鉄

 J・F・ケネディが言った

『鉄鉱石が鋼鉄になるためには、溶鉱炉の中でどろどろに熔けている時期を抜きには出来ない。そのとき未来の鋼鉄は、変に固まろうとせずただじっと 熔けていればよい』

という言葉に、苦しいとき、逃げ出そうと思ったとき、変に固まろうとせずただじっと自分の目で、肌で、こころが感じることを自覚しながら続けることでいろんなものが見え、世界が広がることがあると教えられました。

子育てにも通ずる言葉だと思いませんか。
未来の鋼鉄『子ども』は、可能性を信じて ただ どろどろにこねられている自分を感じていればよく、未来の自分を、その可能性を小さくするように変に固まろうとしないことが大切なのだと。
同じ空間にいても感じることが違うように、未来の鋼鉄もぶつかりながら自分を形作っていくもので、気がついたら自分にあった型枠に出会えているし、質の良い鋼鉄は、何度も 熔かしては新しい形に姿を変えることも可能だ。
医者にしようと親が決めて、遮二無二勉強させるより、子ども時代を子どもとして力いっぱい生きたほうが、他人(ひと)の痛みも、恋心もわかる人間味のある医者になれると思いませんか。
他人(ひと)から感動をもらった子どもが、他人(ひと)に感動を与えられる大人に成れるのではないだろうか。

我々大人の使命は、溶鉱炉をつくることであり、型枠を用意することである。
ある校長が『学校は、子どもの自立と未来の幸せを提供するサービス業だ』と言っていますがそのとおりだと思います。『将来親のすねをかじられなくなったときに、人様に迷惑をかけないで自分のご飯を稼ぐ人間にならなくてはならない。生徒がそのための職業選択をするときにどれだけ幅広くオプションをもてるか、その手伝いをするのが学校だ』と言うのです。
 学校だけでなく、家庭でも同じことでしょう。子どもの未来を思うが故に、間違った子育てをしてしまうという事なのでしょうが、視聴者の状況に関係なく流れるTVの言葉は、あなたのための言葉ではないかもしれない。子どもを自立させる為に、大人がしっかりと自立して判断しなければならない。

 もう遅いということはない。子育てにだって手遅れはない。

 今が一番大事ではなく、今も大事なのだから。 

平成 17年度 家庭教育子育て支援事業報告書より

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■子どもの眠り

 朝登園してくる子どもたちの中には、明らかに寝不足という顔をした子どもがいます。きっと、夜遅くまで大人にお付き合いしていたのでしょう。
 成長した大人と、成長段階の子どもとでは、目に物が同じように写るのではないのです。特に乳幼児は、大人の顔を観察し、目を見て人間としての感情を学び、口元を見て言葉の土台を創っています。目に写るものからどんどん学んでいるのです。大人は、目に写るものを、いいとか悪いとか、好きだ嫌いだ、くさい、うるさいなどと判断していますよね。あなたにとって、癒し  くつろぎになるテレビも、子どもにとっては『ただの光の粒』としか写っていないとしたら、どうしますか。
 目に写るもの 耳に聞こえるもの 肌で感じるもの全てから子どもは学んでいます。神経系が特にフル活動して成長しているのですから、繰り返し睡眠が必要となってくるのです。よく寝てよく学ぼうとする子どもを、神経もぐっすり休める環境で眠らせてあげて欲しい。
 浅い眠りと、深い眠りを繰り返すといわれています。安全に、安心して、ぐっすりと眠らせてあげて欲しいと願います。

三重県教育委員会 パンフレット「つくしんぼ」平成17年度第2号より

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■『子育て 子育ち』

目を閉じて 春を思うと何が見えますか
        夏を思うと何が見えますか
        秋には何が  冬には何が見えますか

 

故郷を思うとき  何が浮かんでくるでしょう
        海ですか  山ですか  森や川ですか
        それとも  風や土の匂い
          一緒に過ごした友達ですか

 

遊んだ記憶は どんなでしょう
        木々や草花  虫たちや
        野原や学校  部屋の中

 

『お母さん』から  思い出すのは
        炊事  洗濯  お裁縫
        留守に置かれた  蒸かしたおイモ
        油で揚げた  パンの耳

 

『お父さん』から  見えるのは
        大きな背中  肩車
        金槌  のこぎり  丸太小屋

 

私が大人になったのは
        食べ物ばかりのおかげじゃない
        お日様も  冷たい風も  暑い陽も
        嬉しいことや  悲しいことも
        何でも喰らって  大きくなった

 

便利になって  身体も大きくなった
        何でも食べた  昔の子ども
        何を食べるの  未来の子ども

 

思い上がるな大人達  歩めば育つ子ども達
育てられるは大人達  見守ることが大人の努め
自分で歩めよ子ども達  何でも喰らえよ子ども達

 

平成16年度 家庭教育子育て支援事業報告書より

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■寺家地区のまちづくり活動の始点

 青少年育成町民会議が組織され始め、子ども達がやがて「ふるさと」と言えるような思いを体験してもらうには・・・などと膝を突合せ話し合いをしていた頃のこと。

 日英青少年指導者セミナーで英国からのユースワーカーを受け入れました。寺家での歓迎の仕方を話し合い、私達もイギリス式で迎え入れる事にしました。

 

「とにかくよく来てくれた。まずは、お好きな飲み物とお菓子をどうぞ」

「サンキュウ」

「あなたの仕事は?」

などと言う会話でスタートし、主催者の挨拶は一息ついた後にまわしたことが、訪れた英国人を喜ばしただけでなく、迎えた私達に多くの事を与えてくれました。

イギリス人が好む飲み物は?

どんなお菓子を用意しようか?

等と思いを一つにした協同作業が、相手をリラックスさせ本題の会議が盛り上がりました。

 何の為に、誰の為に、優先順位は、などの肩肘張らない取り組みの基準が出来た時だったのではないかと回想しています。

みえ地域づくり団体交流会議 (仮)地域づくり仕事人交流会10年のあゆみ 寄稿文

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■スポーツと育ち

 スポーツは、自己の肉体をコントロールして、その成果を競うものともいえます。こう考えると、多くの動きや動作を体験しておく必要性がわかりやすいと思います。

 得意な動き、種目しか出来ない事をステレオタイプという言い方をします。柔軟性を強く求められる競技スポーツを長年続けると球技とかパワーを要求されるスポーツが苦手になったりします。又その逆もあります。しかし、神経系が成人にちかい状態に発達していく幼児期に、多くの動きの要素を体験するということは器を大きくするためにも必要であるといえるでしょう。

 子どもは、自分の身体を動かすことだけでもよく喜びの顔を見せてくれます。なにもなくても、身体を回すことに、走ることに、風を感じ、自分の身体の中の変化を感じることに喜びを見つけたり求めたりします。「たかいたかい」や「抱っこ」を何時までもおねだりしている時の子どもの顔を見てください。発見した喜びや、求めてやまない成長の意欲に満ちた顔をしている事でしょう。

 身体を動かして感じる喜び、何かうまく出来たときの見守る笑顔や賞賛の言葉かけが、子どもに大きな力を与えていく。この基本的な環境の上に、遊びの中で得られる、単純なトレーニングを繰り返して行える集中力や、持続力、たとえば平泳ぎの姿勢で後に泳いで進むようなちょっと工夫をしてみるチャレンジ性が、優秀なスポーツ選手を育てているような気がしています。

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■幼児のおもちゃ

 幼稚園の保育室。プラスチック製、色鮮やかな『飛行機』と、角が落ちた木製の『積み木』がささやきあっています。

 

 「積み木さん、せめて僕みたいに きれいにしてもらったら どうだい」

 「・・・・」

 「大空は人間の憧れさ。いつもパイロット気取りの翼君が喜んでくれるんだ。子どものおもちゃは、夢を運ぶんだ。かっこよくなくっちゃ!」

 「でも君は、飛行機にしかなれないじゃないか。僕は、車にだって、船にだって、子どもが想像するどんな世界にだって飛び込んでいけるんだ。

 今朝は、ベソをかいてたルイちゃんが、『ママ、ミルクこぼしてごめんね』って僕に話しかけて、元気になってお庭に飛び出していったんだ。こんな姿でも、とっても幸せさ」

 「・・・・」

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■突然の停電

 15年度家庭教育子育て支援事業のうち『地域教育コーディネーター養成講座』『家庭教育啓発資料の作成』を14名の委員で行わせていただきました。

 養成講座部会は、尾鷲と松阪において全6日間ずつの講座を開催していただき、資料作成部会は、つくしんぼを3回発行させていただきました。

 両事業とも、委員の皆様のお力と事務局の相当の努力の結果でよいできであったと思いますが、子どもを育てるという国の存続にもつながる事業の一端でありますので、予算面の配慮はより一層にとお願い申し上げます。

 協議会委員として、また幼児教育に携わるものとして感じていることを以下に記述して報告とさせていただきます。

 

 『突然の停電』私達は電気の存在で本当に便利な生活を送らせてもらっている。雷の閃光に驚いた直後に真っ暗になったとしても、すぐ回復してくれるものだと、多くの人は安心している。と思う。あたりまえのように・・・

 

  もしもこの停電が数時間に及んだら・・・

 

  近所だけでなく全市的な停電だったら・・・

 

  数日は回復しない停電だったら・・・

 

 電力会社への文句どころではない。日頃の準備・蓄えの如何によって、何ができるかが決まってくるのだから・・・

 災害復旧のボランティアをしている方が、「経験・体験していない事は、パニック状態の中では、決してできない」とおっしゃっていました。全てを経験させろということではなく、気構え・心構えができるような体験をさせておくべきであるというお言葉だと思いますが、至極当然のことと思います。

 

 かつて学校や、家庭は、子ども達にこの経験と、「他人に文句を言う前に自分の事は自分でできるようになれ」「他人様のおかげで便利がある事に感謝して」などと教えてくれたものでした。

 あまりの便利さに慣れてしまった経済大国日本は、自分の置かれている状況、自分のいる場所も、自分の足の力さえもみえない子ども達を大量生産する国になってしまったのかもしれない。『みんな平等だ』という言葉におどらされて・・・

 自分の命を自分で守れる子ども達に育てていかなければならない。電気のない生活をしている人たちに教えを乞う時代がやってきたのかもしれない。

 『学ぶ』ということは、『自分なりの山を自分で描いて、自分の力で登ってゆく力を身につけること』ではないでしょうか。『登った高さの景色が見える。登る努力で他人がみえる』のですから。

 子どもを育てる事は大人達の義務であることを改めて痛感しています。

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■ルナ君からのメッセージ

 報告書の原稿に着手しようという時、わたしのハートにガーンと飛び込んできたインタビューがありましたので、皆様にも聴いていただきたい。

 日木ルナ君は、極小未熟児、先天性腹壁破裂、新生児痙攣、点頭癇癪、白内障、脳性麻痺。いくつもの重いハンディキャップを持って生まれたにもかかわらず、4歳から母と始めたドーマン法というリハビリ・プログラムで文字盤を使って会話だけでなく、詩の創作活動までしている11歳の少年。

 その彼が創った詩「迷っている人へ」

 迷っている人へ

 道が二つに分かれていたら 一番早く見つける方法に「聞く」という作業があります。

 では、誰に聞けばいいのでしょうか 尊敬する先生?愛する両親?信頼する友人?

 聞いてもいいと思う 参考にするのは いいと思う 

 でも やっぱり聞いて欲しい人がいます

 それは自分 あなた自身です

 あなたは、本当は心の中にちゃんと 地図を持っていて

 何処に行けば自分が心地よくできるか 知っているのに 

 まるで地図など初めから持っていなかったように 振舞うのですね

 思い出して!あなたは持っているでしょう

 ポケットの奥に あなた自身の あなたしか持っていない 心の地図を・・・

 ルナ君は、5歳で高校の参考書を読み、語学講座を見聞きしていたお蔭で数ヶ国語を理解しているとか、彼は大人に向かって「自由にのびのびと子供たちが育っていくために、親が心がけること」も語っています。

 

 よく子どもを観察して、命令しないことですね。手伝いは重要ですが、余計なことをしないほうがいいと思います。子どもが自主的に学びたいと思う手助けをすればいいだけなんですが、どうもみんな教えたがっているんですね。指導したがっているんですよ。先生も親も多いですね。

 だからもっと親も先生も 自分に注目したほうがいいんです。自分自身を満たしていれば、子どもを観察する余裕が出て 何が必要で、何が必要でないかが見えてくるんです。

 具体的に何ということはありません。方法は方法でしかなく、それにとらわれたとき 又、害がでますから。

 問題は心です。受け止める心、認める心、待つ心、そして子どもが身をもって示す多くの事柄から 宇宙の真理を学ぶでしょう・・・

 お母さんは、「子育ては、障害があるなしにかかわらず、一人で背負わずに、どんどん人に頼ることだと思います。完璧じゃなきゃ親になれないんだったら誰もなれない。私はルナと一緒に育っていくことが とっても楽しい。その術を学んだから、すごく幸運だったと思います。」と語っています。

 圧巻です。

 「ものを観、ものを聴くのは『こころ』である。そのとき、目・耳はただの器官でしかない」

 という言葉も思い浮かびました。人間の能力にも驚きました。何かが出来ないという事と、能力が劣ることがイコールではないことは決して忘れてはならないことなのです。

 我々が今生きていることは、とりもなおさず将来の為。いかにより上質な満足を得られるかを追求することを、子どもも また 繰り返して生きていくはずです。子どもが自立できるように、今の自分たちの生活をより上質にする為に 思いっきり生きることが、その姿が、子どもを成長させることに繋がっているような気がしています。

三重県教育委員会 平成13年度 家庭教育子育て支援事業報告書より

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■子は親の鏡

 結ばれて夫となり妻となり、子どもが生まれて父となり母となり、教えられたように教えようと幼き頃を思う。

 自分が育った環境を思い、感じたことを思い、父の背中、母のうしろ姿を思う。

 時の流れの速さを変えることは出来ないけれど、便利さの代償に伝えなければならないものを見失わないようにと。同じように親も思っていたとすると、日々を大切に生きねばと思う。

 感謝して・・・。

 わが子の成長を望まない親はいないでしょう。いい子であろうと思わない子どももいないでしょう。でも親子関係は日々変化します。親の言うことを良く聞いたいい子でもやがては口答えをするようになる。「お前も大人になったらわかる」といわれ、「わかるもんか」「時代が違う」などと、減らず口をたたいたものだが、今 親になって、同じ台詞を使う自分が面白い。

 子どもにとって、目にする、肌に感じる日々の親の判断・行動(価値観)が人格形成にかかわっていることは至極当然のこと。親の生き方が子どもに受け継がれてゆくのです。だとすると、子どもへの過干渉は、自発性の芽を摘むだけでなく、大人として生き方の手本を示していないことになるのではないでしょうか。大切なのは、本当に伝えなければならないのは、学校とか、職場とか、成績のみにこだわる事ではなく、自分の生き方、活かし方ではないでしょうか。

 子どもの姿を見て、危険がないか「目をかける」、励まし・褒める「声をかける」、時には援助の「手をかける」ことが親の責任で、その元で子どもは自由に、自発的に動けるように育ててあげようではありませんか。

 『失敗?』「だめじゃないか」の言葉を飲み込んで、自分だって転んだじゃないかって。そうでしょ、だって子どもは自分の鏡だもの!

三重県教育委員会 パンフレット「つくしんぼ」平成13年‡A号より

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■家庭教育・子育て支援事業について(2)

子育て支援連絡協議会委員長 第二さくら幼稚園 後藤光雄

 支援連絡協議会と名称を改め、委員も昨年の10名中5名が入れ代わり、本年度の家庭教育・子育て支援事業を推し進めました。

 子ども達を取り囲む環境がめまぐるしく変化する中で、子育てに悪戦苦闘するお母さんお父さんたちへ、心のよりどころとなってほしいとの思いを込めて、パンフレット「つくしんぼ」を3部発行しました。各委員それぞれの日常・見識の中から執筆いただき、協議会の中でそれぞれについて読みくだき、真意が伝わるようにと編集作業をしました。良い出来であったと、人選をしていただいた教育委員会事務局に感謝しております。

 「つくしんぼ」の限られた紙面では伝え足りない部分、背景等をこの報告書に記述いただいておりますので併せてお読みいただけたらと思います。

 配布先や方法も、年々考慮され10万部が効率よく行き渡ってきていると思います。が、第3号で、配布先への配慮を欠いてしまいご迷惑をおかけした点等は今後の糧とさせていただきたい。また、読者の方々からいろいろなご意見・反応が県教育委員会事務局に寄せられたことも報告させていただきます。

 4年目を迎えた「親子でトライ!」には、179家族617名の応募があり、46家族171名が4つの事業に参加いただきました。もっと多くの人たちに・・・と思いますが、各教育事務所の皆さんのご努力を、実施報告・アンケート集計からご覧戴きたい。

 乱暴な言い方ですが、精子と卵子が出会って受精した瞬間から、子育ては始まっている。子が育つ環境はまさに親の中にあるわけです。優性、劣性すべての遺伝子の中からその環境の中で子どもが好むと好まざるとに関わらず、可能性と方向性が決められているのではないでしょうか。親になるということは、そういう自覚を持つということなのですが、子どもが勝手にどんどん育っていくと思われてしまう傾向を感じて危惧しています。妊娠中の喫煙で母子間の栄養の輸送菅である「へその緒」が非常に細くなってしまうことや、その胎児の栄養状態が脳の発達に大きく作用することなど、たとえ教えられていなくても、本能として拒否できる心をもつことが出来にくい時勢。これからは、ものを食べ、動き、しながら成長していく生き物としての人間にとって本当に必要なものと、害多きものとを見分け、選択し、本物が残るような世の中にしていかなければと、感じています。

 これからは個の時代といわれます。全体の発展から個の幸せをつかむ時代から、個々人が豊な時間、豊な心をもって活きることが、全体を成す時代なのだと思います。本当の豊かさ、豊かな心、豊かな生活・・・これを求めることと、次の時代につながる「子育て」を考えること、意外とクロスオーバーしているのでは・・・。

 三重県教育委員会生涯学習課、及び担当者のご尽力に感謝し、「つくしんぼ」がより衆知されていくことを願い報告とします。

 三重県教育委員会 平成12年度 家庭教育・子育て支援事業報告書より

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「心が動く」と・・・

 傾斜約60度、15m程の岩肌を10歳の女の子が登っている。7m程登って手が止まってしまい、大声で泣いています。岩の上には、ロープを手にインストラクターが見守っています。岩の下には、一緒に参加した子ども達。そして「がんばれ!」の声、声、声・・・

 その横には、手出し口出しを禁じられた大人たちの不安な顔、顔。「一歩一歩夢中に進んで、振り向いた瞬間に恐怖に襲われた経験はありますか?彼女の選択は、登るか、降りるかです。自分で決めることがこのキャンプのテーマです。」

 そう、5分くらいしっかり泣いて、その子は、ちょっとずつ、しかし、しっかりとした動きでついに登りきったのです。途中で決してロープを引き上げなかったインストラクターの笑顔と、登りきった子の嬉しさをいっぱいに含んだ照れ笑い。そして、戻る彼女を迎える子供たちの大きな拍手・・・感想を求めることも止められていた大人たちの安堵の笑顔。

 砂場で黙々と遊ぶ一人遊びの世界から、一つのおもちゃを取り合って始まる社会性の育ちを見守ることから始まって、ロープを引き上げてしまうことなく、「心が動く」経験を積ませてあげることが大人の役目ではないでしょうか。

 自分に気付いた、自分が変わったきっかけは?答えはいつも自分の中にあったのでは?!

 信じてもいいのではないでしょうか。誰もみんな、目の前の障害を乗り越える力を持って生まれてきていることを。

三重県教育委員会 パンフレット「つくしんぼ」平成12年‡@号より

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■家庭教育・子育て支援推進事業について(1)

 子どもの教育や人格形成に対し、その最終責任を負っているのが家庭である。乳幼児期から少年期までの子を持つ親等の家庭教育を支援するために、啓発、学習機会の提供を行う。という本事業の趣旨に添って企画推進委員会を運営しました。

 永年にわたり親しんでいただいたテレビ「つくしんぼ」が打ち切りとなったため、パンフレット「つくしんぼ」の作成、配布には今まで以上に思いを込めて携わっていただきました。近年のますます複雑になってゆく家庭を取り巻く環境、またその家庭環境そのものに配慮して、保育者=母親ではなく、父親を含む、幼児を育てる大人向けにメッセージを送ったつもりです。このパンフレットが子育てに関する親の会話の媒体となることを期待しています。また毎号に掲示した電話相談やイベントの案内も子育ての支援となるようにと継続しました。

 3年目となった親子共同体験・交流活動「親子でトライ!」は、松坂・北勢・中勢・南勢志摩・上野・尾鷲・熊野の教育事務所が企画。222家族790人に参加していただき、自然との触れ合い、地場産業の体験等にトライしていただいた。特に、早朝漁業体験のように実際の漁に立ち会えるといった体験を増やしていって欲しい、そしてそれが『ふるさと・三重』を大切にする心と、人づくりにつながってくれたらと願っています。

 急激な社会変化に大人が必死についてゆきながら、自分の経験を基にした子育てを展開しようとするものの、社会変化への対応が子どもの方が進んでいたりすることからギャップが生じ大人が戸惑ってしまうことが、最近の家庭教育の特徴なのかもしれません。個人の自由とプライバシー、権利と義務、責任の所在等が混乱してしまっているのも原因でしょう。

 所   属(自分の居場所がある)

 ・力の発現(力を認めてもらっている)

 ・自   由(束縛されない)

 ・楽 し み(気持ちがよい)

 ・生   存(生きていることの実感)

の5つの基本的欲求は、子どもだけではなく全ての人にあるもので、また所属する社会、地域、会社、学校、家庭など生活の場それぞれでも要求しあい衝突が起こっているものなのです。この基本的欲求が満たされないストレスを持ち帰る『家庭』という場づくりに目を向けなければならないでしょうし、ストレスを発散(昇華)させる場所、活動、運動などを大人社会が作って行かなくてはならないでしょう。

 「親の夢、どんどん喰って子は育つ」といいます。3度の食事だけでなく 親の夢まで喰っていたとはと、妙に感心する言葉ですが、親となって子の育ちを見ていると、いつの世も同じことが繰り返されているのだなと思います。がしかし、子どもが社会に出るまでは、社会に出すことは親としての責任なのですから、世のせいなどにしないで親としての義務を果たそうではありませんか。善いも悪いも『人がこの世をつくり、その世が人をつくる』のですから。

 三重県教育委員会生涯学習課長及び担当者のご尽力でこの事業が推進できたことを感謝し、次年度に向けての積極的なご意見を賜ることをお願いとしたいと思います。

三重県教育委員会 平成11年度 家庭教育・子育て支援推進事業報告書より

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■子どもがかわった?

  「自立と自信の源泉となる多様な直接体験の機会を青少年から奪ったことが要因となり、今日の青少年には、他者への関心と認識の欠落、自我の未発達、過剰な自己中心主義、自信の喪失、忍耐力と持続力の弱化、社会や未来への無関心などの傾向が顕著に見られる」といわれます。

 確かに自然との直接体験、異年齢集団での体験も減ってしまったと思いますが、何が子どもたちをそうさせてしまったのでしょう。

 今の子どもも、目に見えるもの、手に触れるもの、そこから何かを感じているはずです。人の痛みも伝わっていることでしょう。感動を伝えたい、表現したい気持ちにしてあげることが、本来大人がしなければならないこと なのではないでしょうか。

 かつて大人は、いつも子どもに目や気をかけていた。子どもに手をかけられるようになった大人が、窮屈で、気持ちまで代弁されている子どもに、冒険心や逞しさ、創造力や思いやりを望むことじたい既に間違っているのではないでしょうか。

 人間には、所属(自分の居場所がある)、力の発現(力を認めてもらっている)、自由(束縛されない)、楽しみ(気持ちがよい)、生存(生きていることの実感)の5つの基本的欲求があり、この欲求が満たされない現実にぶつかったときに問題が生じるのだともいわれています。これこそ今も昔も変わらないことで、そういう意味では”子どもはかわっていない?!”

三重県教育委員会 パンフレット「つくしんぼ」平成11年‡B号より

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■番組作りに参加して(4)

(三重テレビ放送制作番組「つくしんぼ」に、キャンプ・牛の乳搾り等、自然や動物に触れながら親子でチャレンジする様子を伝える番組の制作委員として参加。平成10年11月6日・12日放送)

 

 大地に寝ころんで、ただじっと、雲の流れを見上げていたことがありますか

 雨が上がって日差しを浴びて、草木が芽吹き虫たちが跳ねる姿を観たことがありますか

 スーイスーイとあめんぼう、やごがトンボになる姿、セミの脱皮を観たことがありますか

 足が出てきたおたまじゃくし、蛙の卵をつかんだことがありますか

 シロツメクサや椿の蜜、渋柿や、山椒をかじったことがありますか

 川の中、メダカやカジカや沢ガニと、一緒に魚になったことがありますか

 夜道で、木々のささやきにおびえて走ったことがありますか

 

 10年ほど前、ある小学校長が、子どもにとっての望ましい生活体験として

「3歳頃には、砂遊び。小学校高学年では、集団活動。中高生では、ボランティア。20歳頃には、世の中や、自分の生き方について論議をすること」と述べていました。

 個人の権利や自由がより認められてきた昨今、中学校でボランティア、高校で自分の生き方、世の中を問い詰める経験が必要ではないだろうかと思います。ヒトは、成人していかに生きられるか、社会の一員としてどう生きていくかということが大切なことだと思います。

 子どもの頃のいろんな体験。自分と他人との接触も大切ですが、まずお母さんとの充分な触れ合いがあり、次には充分自然の中で過ごさせて欲しい。知的好奇心が旺盛だからといって機械的な、文明の利器ばかりに触れさせないで、自然の不思議さに、他の生き物への興味へと、目を向けさせて欲しいものだと願います。その方が心の動きの幅が大きくなり、豊かな育ちが出来るのではないでしょうか。良い学校、良い環境をと性急に求めてしまいがちですが、きっと 幸せな人生を送れる大人になる近道なのではないでしょうか。

 子どもを大人のおもちゃのように育てるのではなく、その子が自分の人生を豊かに生きられるようにしてあげることが大切で、私たち大人も もっともっと自分の人生を豊かにすることに時間を使わなければいけないのではないでしょうか。

 

 つかんだ魚のぬるぬるも、思わずつぶした虫けらも みーんな手のひらが覚えている

 転んで作った傷跡も、ぶつけて作った縫い跡も みーんな身体が覚えています

 求めた分だけ教えてくれる・・・  挑んだ分だけ答えてくれる・・・

 何もなくても、なーんでもある そんな自然とのふれあいを大切に!!

 心が豊かになれば、豊かな生き方が出来てきて、きっとやさしくなれる

 人にも 自然にも・・・

三重県教育委員会 平成10年度 家庭教育・子育て支援事業報告書より

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■「親子でトライ!」事業実施の基本方針

 サンフランシスコ近郊の公立中学校の校庭に学校菜園があり、ニンジン、ジャガイモ、ブロッコリー、トウモロコシ、キャベツ、大豆、トマトを作り、学校での昼食はその野菜を材料に生徒が作るという。この畑と台所の両方から生き物や、他人への心遣いとか、忍耐、自制心を学べるからだそうだ。この行動が荒れた学校を穏やかな学校に変えたため、今では千を越える公立中学校に菜園が広がる活動となっているそうである・・・。

 あなたは草むしりの経験がありますか?

 片膝立てて一本ずつ丁寧に草を抜いてゆく。汗をかく、腰は痛くなる、前を見ると まだまだうんざりするほど雑草はある。下を向いて手元だけを見ながら それでもジリッジリッと進んでゆく。一本一本。やがて立ち上がって腰を伸ばし 後ろを振り返ってみると、わかるんだよね。自分が何をしてきたかが。そう、満足感てやつが・・・

 ドラマ「北の国から」の作者 倉本聰さんが、都会の若者たちを北海道の原野に身一つで一晩解き放したとき、男たちはみな外敵から身を守るような家らしき物を作っていたそうだ。

 そう、学校も、会社もなかった時代、家族は、人間はどんな暮らしをしていたのだろうか。自然の中で生きる智恵を伝えあい、協力しながら生きていた時代と、現代と、親の役目は変わったのだろうか・・・・

 

 平成9年度から新しく、失われたものを何とかつかもうと、家庭教育・子育て支援事業に「親子共同体験・交流活動企画推進委員会」なるものが登場しました。

 鈴鹿市の三重県青少年の森、青少年センターを利用して、7月5〜6日、9月13日〜14日の2回「親子でトライ!」を開催しました。決して押しつけにならないように、参加した家族でそれぞれに何かをつかんでいただけるようにと、テント泊、センター泊の選択、家族ごとでの野外炊飯、夜間の自然観察会、を両方のメインにし、ペーパークラフト、ネイチャーゲーム等に参加していただいた。

 テレビやゲームのない生活に心から向かい合うには時間が足りなかったのは、子どもだけではなく、与えられた時間を指示がなければ休息にしてしまう、疲れた大人の姿もみえました。が、虫たちを観察するには時期を逸しているものの、たくさんの人が一所懸命に探して、歓声を上げていました。汗だくになって野外炊飯をしていました。初めて薪を割る子どもの顔は真剣に輝いていました。苦労してテントを張っている家族もありました・・・・

 「楽しかったけど疲れもなかなか、でももう一度やってみたい」「この次はテントに挑戦してみたい」こんな感想から、家庭での共同体験事業を、いい経験、いい機会としていただけたと思いたい。

 「私は、雨が大好きになりました。だって一日中友達と話ができたのよ・・・」あるキャンプでの子どもの感想ですが、こんな体験ができるように今後も企画してゆけたらと思います。

親子共同体験・交流活動企画推進委員長 後藤光雄

三重県教育委員会 平成9年度 家庭教育・子育て支援事業報告書より

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■番組作りに参加して(3)

(三重テレビ放送制作番組「つくしんぼ」にて、「うごくって たのしい」をテーマにした番組に制作委員として参加 平成8年11月24日・27日放送)

 今年は、「うごくって たのしい」の制作に携わらせていただきました。撮影は素人の私がハンディカメラで撮影した映像を使って編集していただいたので、見にくい点があったかと、反省をしながら もっともっと勉強しようとチャレンジ心がわくわくと湧いてきております。

 冒頭の ボールにのっかって倒れるお子さんは、(本当にタイミング良くカメラが捉えましたが、)子どもが本来持ちえる自己の防衛能力の高さを示してくれたと感じ、改めて生き抜く力を見失わないような子育ての大切さを痛感しました。

 こけても こけても自分で歩こうとする子と、じっと見守ってそばに居るおじいさん。歩きを自分のものにしようとする子どものエネルギーと、手も口も出さずに側に居るおじいさんの やさしさと強さ。伸びようとする、自分が羽ばたこうとする時には、安心と勇気を与えてあげることが、先人の務めなのだとわが身にも言い聞かせた場面でした。

 砂場で砂いじりに興じる子どもたち、高原の傾斜を動き回る子の、全身で「感じている」いい顔。このいい顔が育っている証なのかもしれません。それを与えてくれる自然や、平和のありがたさを感じもしました。

 チャンピオンスポーツの指導者でもある 名古屋女子大学の荒井康夫先生にお話を伺いました。「幼児期は、神経系の発達の為に、基礎的運動を幅広く経験させて身体資質の開発をしておくことが大切。子に対する親の声かけも充分注意して、子どもが心から(内臓から)エネルギッシュに働けるように気を配って欲しい。」とのことでした。

 小さい頃から限られたスポーツ(動き)に固執すると、ステレオタイプとなって小さくまとまりはするけれど、逞しさに欠けてしまうという弊害もでるといいます。自分がやりたいことなら自分から工夫したりチャレンジする気持ちになるでしょうが、過干渉されると、好きなことですら、取り組まなくなってしまうこともありえる事を忘れてはならないでしょう。

 私の小さい頃を振り返り、私たちを育ててくれた親の世代は 自分の子どもの育ちをゆっくりと見ている事ができただろうか、兄弟姉妹も多く、毎日の仕事が忙しいため、放っておかれた子どもが多かったのではないだろうかと思います。

 とすると、育児に携わる時間が増えて、子どもが育つ時間が減ってきている なんていう変なことが起こってしまっているのではないでしょうか。

 だとすると視点を変えて、子どもが育つ環境を大切にすることの重要さを、(ただ単なる便利さだけに目を奪われないで)子が花を咲かせ実を付ける土壌づくりに目を向けて、自分の力で立ち、歩んでゆける子育てをしなくてはならないのではないでしょうか。

 そんな気持ちを込めて番組制作にあたらせていただきました。いつも思いますが三重テレビのスタッフの方のお力に感謝しています。ありがとうございました。

三重県教育委員会 平成8年度 すこやか家庭教育相談事業報告書より

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■番組作りに参加して(2)

(三重テレビ放送制作番組「つくしんぼ」に、番組制作委員として参加 平成7年12月23日・26日 平成8年2月10日・13日放送)

 今年は、「ここまでやれるよ」〜できたよろこびを体験させましょう〜4回目 と 「子どもの遊びを育ち」〜子どもの遊びの変化と社会性の育ち〜7回目 の2本の制作に携わらせていただきました。

 子どもたちをみていると、よく疲れもしないで動き廻るものだ!飽きもせず何度もやっているものだ!と感心することがあります。理屈なしに動き廻らせる本能としての運動欲求は、時に食欲をも上回ることがあることは、誰でも経験があることかもしれません。繰り返し繰り返し行うことによって、1段1段はしごを登るがごとくに、見える世界が拡がっているのでしょう。何かを掴みながら、より興味を深めているのかも知れません。

 そういった子どもの能力、本能から湧き出る欲求を、ついばんでは いないだろうか。押さえ込んでは いないだろうか。そんな反省を込めて、「ここまでやれるよ!」という子どもの声をタイトルにしました。見守る心、突き放す愛情、認める言葉etc・・・『善し悪しの 中をながれる 清水かな』善悪の二元論だけでは割り切れない、左岸右岸どちらにも触れながら清水が流れるように、出来る出来ないの両極端の見方ではない子育ての必要性も感じました。親になるって事は、本当に大変なことだと思います。

 「子どものけんか」〜社会性の育ちからけんかをとらえてみると〜のテーマで取り掛かろうとしました。が、題材の取り上げ方、取材の難しさでテーマを変えました。伝えたかったことは、子ども同士のぶつかりあいが社会性を育ててくれるということです。動物園で、「子をたくさん(5匹以上)生む動物は、家族で生活、移動し子を一人前(!?)に育てるが、1、2匹しか生まない動物は、幼稚園のように子を集めて生活させ、社会性を育てる仕組みが出来ている。」ということを教えていただきました。職業柄 責任の重さを痛感し、集団の中でも、その子なりのアイデアを出せる余地を作って指導をしてあげたい。他の子と違うことをしたときにアイデアとして「すごい!」とまず認めてあげることが出来たら素晴らしいことだなと思い続けています。

 「自分の気持ちを認めてもらえる」「他人の気持ちも認めてあげる」これが大切なことではないでしょうか。≪手がかからない子=良い子≫の図式の子育てでは、うっかりすると自発的に動けない、自分の意志を言えない、言わない子が育ってしまうことがあります。

 『所属・力・楽しさ・自由』の欲求充足が満足を生みます。自分の居場所があり、自分を認めてくれて、興味あることを、強制されないで・・・・・

 知的欲求の非常に強い、幼児期の子どもたちの成長に合わせた良い刺激を選択してあげることが親の役目だと言えるでしょう。

 かく言う私も、叱り過ぎではないか、甘やかし過ぎではないか、放任ではないか、言い過ぎたかetc・・・・反省ばかりです。でも、きっとそれが親子なのでしょう。

 そんな気持ちを込めて番組作成にあたらせていただきました。いつも思いますが、三重テレビのスタッフの方のお力に感謝しています。ありがとうございました。

三重県教育委員会 平成7年度 すこやか家庭教育相談事業報告書より

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■番組作りに参加して(1)

(三重テレビ放送制作番組「つくしんぼ」にて、”つくしんぼ体操”の振り付けを「テレビの前で気軽にできる体操」を心がけて制作、解説を交えて紹介した。平成6年11月12日・17日放送)

 私が「つくしんぼ」の企画に参加して3年目になります。

 1年目は、子どもたちの動作は加齢や経験で変化してゆくという事をご覧いただき、子どもにとって運動することは「遊びであること」「バランスのとれた」「他人との違いが認められていること」が大切で、『やってみよう』という内的動機づけをさせ、『私はどうせ出来ない』と尻込みすることがないように育って欲しいという願いを込めてまとめてみました。

 2年目は、身体を動かすことはすべて「育ちの栄養」であり、身体を意識して動かして遊ぶ楽しさや、自然の中で身体が動いてしまう楽しさをご覧いただいた。意識して筋肉を動かす事や、無意識のうちにいろんな運動刺激が与えられる遊びの様子をまとめてみました。

 3年目の今年は、「チャレンジ」と題して身体の動きに伴う心の動きに着目してみました。幼児期の子どもたちは、毎日毎日新しいことに出会い成長し続けています。興味を持ち、集中して取り組めば、その成長も一段と著しくなります。そういう意味では子どもたちの生活スタイルは、興味と好奇心の現れだともいえるでしょう。

 子どもは、興味を持てばチャレンジしたくなります。そして何度も繰り返してやろうとします。この自然な心の動きが成長を促進していると言えるでしょう。

 子どもたちが興味を持ったことにチャレンジ出来るよう見守って欲しいと願い、「手をかけずに目をかけて」と副題をつけました。上着のボタンがけも、箸の使い方もつい手を出してしまいがちですが、覚えてしまうように褒めながら興味を持たせたほうが結局は近道だったりする。そんな時に他人と比較して「あなたは駄目ねー」的な声をかけてしまうと「私はどうせダメ」と興味どころか尻込みや退行が現れてくる。番組の中でマット越しにボールを投げてそれにタッチさせることをしてみました。一度目より二度目の方がボールに触ろうとする気持ちが顔つきに出てきます。動機付けの為に先生に模範をしてもらったり、触った個数をコールしたりしました。一人目が10個のうち8個に触って、二人目が6個だったときに他人と比較した声かけは厳禁。一度目と二度目の比較での声かけとはずいぶん意味が違う。「どうせ私は出来ない」と心にブレーキが掛かってしまわないように気を配って行いました。他人と比較してアドバイスするより、自分自身の成長を評価してもらうほうがチャレンジする心は大きくなるのは当然でしょう。

 

赤ちゃんだった頃 初めて寝返りをしたときは 拍手喝采だった

ハイハイしたときも 大喜びだった

たっちしたときは スーパーマンになったようだった

あの頃はみんな ゆっくりと待っていてくれた

今なぜ はやく、はやく、はやくって いわれるのだろう

なぜ すぐに手伝ってくれるのだろう

なぜ あぶないからしちゃダメって いわれるんだろう

ぼくは ぜ〜んぶ 自分でしたいのに

三重県教育委員会 平成6年度 すこやか家庭教育相談事業報告書より

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■心のブレーキ〜私の教育観〜テレビ番組に参加して

(三重テレビ放送制作番組「つくしんぼ」にて、ボクとワタシのスポーツをテーマにした番組に制作委員として参加。平成4年11月14日放送) 

 私は絵を描くことが苦手である。好奇心も強く、なんでもやってみようと思うが 私が絵を描こうとするときには、いつも心にブレーキがかかる。

 私は男3人の兄弟の次男として育ち、いつも戸外で遊んでいたからではないと思うが 小学生になっても、人を描くと小さい頭に四角い大きな胴体、そしてその筒のような胴から手と足が伸びているような絵からなかなか進歩しなかった。ある日同級生から その まるで幼児が描くような人の絵を笑われたことがあった。まさにこの時、『みんな上手に描くなー』と思っていた私は『僕は、絵が下手なんだ!!』と思うようになってしまった。

 小学校4年生の写生大会の時、それでも私は一所懸命立派な松の木を画用紙いっぱいに描いた。絵筆を立てて、たたくように松の葉を描き、自分なりにその描き方と出来栄えには満足していた。クラスの優秀作を選ぶことになり、私の絵と抽象的な風景画とどちらが良いかということになり、私の作品は、『写実的な絵は、しょせん写真にかなわない』という訳のわからない言葉で退けられてしまい、この時以来私は、絵を描くことが『大嫌い!!』になった。

 絵が嫌いになると美術の時間もいやになり、美術の先生までもが好きでなくなり、いつも自分に言い訳をしながら、いいかげんに絵を描いていた。本当は、一所懸命描きたいのに どうしても 心のブレーキを外す事が出来なかった・・・今だに・・・

 「成長は積み重ね」

 現在私は、幼稚園で子どもたちと体育遊びをしている。自分の身体を自由に動かせるように、反射的に身を守る能力を身に付けて欲しいと、かつての私達のように戸外で遊ぶ機会や、変化のある自然の中での運動体験が少なくなってしまった子どもたちの為に、知恵を絞って一緒に遊んでいる。子どもたちは、多くの事を教えてくれる。生まれてから今日までの積み重ねが今の姿であることを、たとえ誕生日が同じでも生活体験が同じ子が存在し得ない事を、みんなそれぞれに発達し成長していることを、嬉々として、身体を動かしながら『個性』を訴えてくれる。

 私たちは当たり前の様に歩いていますが、500もの筋肉、206本の骨、そして身体中に張り巡らされた神経との協調として『運動』が起こっていることを意識することはないでしょう。

 初めて赤ちゃんが歩いたときは、本人の驚きや感動以上にまわりの大人が大喜びをする。しかし、子どもの成長とは、歩きはじめた時の感動を常に繰り返し、協調を積み重ねているのだ。

 「さあ、今日は跳び箱のお山を使って遊ぼう」というと、「わたしできなーい」という子がいる。跳び箱が、目の前の障害なら、いろんな越え方のあることを知ることが大切だと思うのだが、『跳び箱=開脚跳び越し』がまるで唯一の答えのように思い込んでいる。「前転出来ますか?」と問えば殆どの大人も「出来る」と言う。だが、マットの上での前転でなく、平均台の上で、石ころのある運動場で、アスファルトの上でもできますか?

 初めて跳び箱に面して、いきなり跳び越させようなどとは考えてもいないのに『心のブレーキ』が掛かってしまうことは、しごく残念である。身体を動かす喜びを積み重ねていって欲しいと念じつつ、子どもの『動き』から何を学べるか。やめられない訳である。

三重県教育委員会 平成4年度 すこやか家庭教育相談事業報告書より

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