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■平成20年12月2日   要約  議事録

■■■平成20年12月定例会 (12月2日)

 

1. 近鉄白子駅の名称について
2. NTT西日本研修センタ跡地

(1) 研修センタ跡地 土地利用 転換計画の推進について
(2) 第一鈴鹿海軍航空基地の遺跡として、格納庫・滑走路・射撃場・正門・番兵塔が残っているが、二度と戦争をしないために、これらを貴重な文化財として保存することはできないか
(3) 残された施設の再利用の面からも、広域防災拠点となりうる総合型防災公園兼総合運動公園と位置付けられないか

要約
1. 近鉄白子駅の名称について
質問: 鈴鹿市をシティセールスしていくうえで「白子駅」の名称をどのように考えているか?
答弁: シティセールスしていくうえで、駅名が活用されることも期待するところです。が、白子駅の名称については行政主導ではなく白子周辺の皆様のご理解と市民の合意形成が肝要と考え、動向を見守っていきたい。
提言: 2013年の完成を目指す白子駅西口の駅前広場整備事業に合わせて、行政と自治会などとの連携で市全体の意見を集約する機会作りをしてほしい
2. NTT西日本研修センタ跡地
質問: 平成16年に発表された跡地土地利用転換計画策定事業概要から今日までの動きは
答弁: 市が整備する防災型公園は、事業計画の検討に入っており、新産業支援ゾーンは、ものづくり支援センタの設置について検討している。NTTが担当する健康福祉ゾーンは4つのエリアに分け企業の進出意向の把握に取組中。
提言: 跡地土地利用転換計画のコンセプトを守りながら、跡地土地利用懇談会といった組織を作って、早期実現にむけ現状把握、改善などの検討をする場を設けるべきだ
質問: 跡地に残る第一鈴鹿海軍航空基地の遺跡群を、二度と戦争をしない心を持ち続けるために文化財として保存できないか
答弁: 鈴鹿に残る戦争遺跡の中でどれを文化財指定して保存すべきかを文化財調査会に審議依頼中です。
提言: 今すぐにでも、子どもたちの目に触れられる機会を作ってほしい。
質問: 残された施設の再利用を考え、全体が地域防災拠点となる総合防災公園兼運動公園として、利用転換計画を推進できないか
答弁: 変更は考えられない
提言: 広大な土地購入に多額な費用が必要となるからできない。ではなく、土地代金の無利子貸付け、20年の割賦返済、土地購入費の1/3施設整備の1/2の補助金が受けられる防災街区整備事業としての展開や、薬学部(医療科学大学)との連携インターハイや、国体の為の県との連携など市民の利益と、この地に人や企業が集う展開をして、新しい健康福祉の在り方を日本中に発信できる場所づくりをしてほしい。

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■平成20年12月2日   要約  議事録

1. 後藤光雄 2. 市長 3. 後藤光雄 4. 市長 5. 企画財務部長 6. 後藤光雄 7. 文化振興部長 8. 後藤光雄

9. 企画財務部長 10. 後藤光雄

■■■平成20年9月定例会 (9月10日)

1. 後藤光雄


議席27番すずか倶楽部の後藤光雄です。

今回の質問で通算22回目の質問となりますが、よろしくお願いいたします。

さて、本当に大きな経済不況に突入してしまった感がします。

世界的な大恐慌の後には、戦争によって復興するという歴史がありますが繰り返してほしくないと願っております。

この経済不況は企業の経営にも大きな影響を与えておりますので、鈴鹿市の歳入にも影響が出てくるのではと心配をしております。

できうる限りの無駄を省き、必要なところに投資して、鈴鹿市の20年後30年後に向けた計画推進に努力していただくために、今回は通告のとおり、近鉄白子駅の名称についてと、NTT西日本研修センタ跡地利用転換計画について、大きくこの2点について質問をさせていただきます。

まず、1、「白子駅」の名称について」ですが、鈴鹿市の玄関口という言われ方をして久しい近鉄白子駅ですが、今年の夏のことです。御菌町にあります県営鈴鹿スポーツガーデンで行われました女子サッカーの全国リーグ「なでしこリーグ」に来たチームですが、四日市に宿をとって、バスで会場にきていました。

「白子駅前にJリーグのチームが泊まっていただいているホテルがあるのに」というふうに申し上げたら、「鈴鹿市駅は引き込み線だったし、以前も確か四日市で泊まっていたので」という返事をいただきました。

県外から鈴鹿市を訪れてくださった人たちへのリサーチがどこまでされているかわかりませんけれども、全国にシティセールスしていくうえで、近鉄白子駅が鈴鹿市の玄関口であるということがどのくらい知られているのか。「鈴鹿」と聞いたことがある人の何%、どのくらいの人が白子とつながっているのかと思うのですが、「鈴鹿」と聞いて鈴鹿サーキットをイメージする人のどれほどが白子駅を知っているかなどを考えると、鈴鹿をシティセールスしているうえで、近鉄「白子駅」の名称についてどのようにとらえているかお答えをいただきたいと思います。

よろしくお願いします。


2. 市長


それでは、後藤議員の御質問に御答弁申し上げます。

「白子駅」の名称についてでございますが、白子地区は古くからの歴史がございます。

江戸時代には紀州藩の特権を活用した型紙業や、参宮街道の宿場町、良好な港湾を中心とした往時の繁栄は現在も恒間見られます。

現在の白子駅は年間554万(平成18年度)の乗降者があり、その数は本市最大でありますことから、まさに本市の玄関口となっておりますし、駅近隣では民間と資本の投入によりますマンション等の建設が行われ、鈴鹿F1日本グランプリが再開されることも合わせまして、その使用頻度は増加が見込まれます。

議員が指摘されますように、鈴鹿サーキットで開催されます「鈴鹿F1日本グランプリ」の観戦や遠方から市内企業に出張で来られた方々が、近鉄白子駅を本市の中で最も利便性の高い駅であることの認識がなかったり、「しろこ」と読まずに「しらこ」と読まれるようなことがあることはよく存じております。

このような中、駅の名称を現在のまま歴史的な名称「白子」のままにするのか、遠方からお越しの方々にも鈴鹿のイメージが湧き出るようなものにするのか、あるいは両者が両立するようなものにするのか、いろいろな考え方があると存じます。

本市が位置づけするシティセールスが意図する「本市の有する魅力や個性・強みや固有の素材」を国内外にアピールをし、「自主自立した鈴鹿市づくり」を具現化するための一つの要素として、駅名が活用されることも期待するところでございますが、近鉄白子駅の名称変更の機運は近鉄特急が名古屋駅を出ますと、桑名、四日市、白子、津、松阪、伊勢市と白子以外は市名の駅に停車していることもあり、昭和62年の議会でも質問をいただいたと認識いたしております。

しかし、当時はさまざまな理由から時期尚早であったということで、駅名の変更には至らなかったと理解をいたしております。

駅名の変更により、他地域に与える影響も勘案する必要もありますし、変更に伴う経費の負担も考えられます。

近鉄白子駅の名称については行政主導ではなく、白子周辺の皆様の御理解と市民の合意形成が肝要と存じ、そのような動向を見守っていきたいと考えておりますので、御理解賜りますようお願いいたします。


3. 後藤光雄


ありがとうございました。

白子の歴史は、江戸時代紀州領の白子港として、江戸と同じ風景がみられたといわれるほどに、回船による文化の流入や、賑わいがあったと伝えられていますし、徳川家康や大黒屋光大夫にもかかわる歴史深き町であることを、私たち鈴鹿市民は周知のとこでありますけれども、「白子駅」の歴史を調べてみましたら、「伊勢鉄道」という会社が、四日市と津を結ぶために、河芸郡白子町と一身田町(現在の高田本山)を1915年(大正4年)、93年前に結んだのが最初だそうです。

翌年に千代崎まで延びた伊勢鉄道ですが、当初の計画は津から白子、神戸、若松と通って四日市につなぐものであったそうです。

大正15年(1926年) 伊勢鉄道が伊勢電気鉄道になって、昭和5年(1930年)新松阪駅と大神宮前駅が開業して、白子駅からの桑名方面、伊勢方面へアクセス可能となって、1936年(昭和11年)参宮急行電鉄と合併し、後に関西急行鉄道と名を変えながら、1944年(昭和19年)6月、今から64年前に近畿日本鉄道 名古屋線 白子駅となったそうです。

白子駅の歴史は、93年も続いております。

その中で、鈴鹿市制も66年が経過し シティセールスをトップに位置付ける市長として、駅名を変更するなり、鈴鹿と白子をつなぐ施策を打つなりの時期がもうきているのではないかとも思います。

ご答弁されたように、過去の経緯もあり、白子周辺の皆様のご理解と市民の合意形成が必要であることがわかります。

しかし、白子駅西口の駅前広場整備事業が、2013年の完成を目指して進められております。

是非この機会に合わせて 行政と自治会などの連携で市全体の意見を集約する機会作りをしてほしいというふうに思います。

神戸も、平田も、白子もその他の地区にもみな歴史があって、それぞれ皆大切のものです。

市をシティセールスしていこうとする場合、外から見た時の「ひとつの鈴鹿」として、駅名のあり方を考えていい時期にはなっているというふうに思うます。

例えば、「白子駅」なのか、「鈴鹿市白子駅」なのか「新鈴鹿駅」なのか、そんなアイデイァを聞いたことあります。

もっと他にも案があるかもしれません。歴史ある白子駅の鈴鹿市の玄関口としてふさわしい名前を考えてみることも、20万市民の「ひとつの鈴鹿」づくりにつながることではないかと思いますので、行政としても、傍観することなく、ぜひ取り組みお願いしたいというふうにお願いさせていただきます。

つづいて、2. NTT西日本研修センタ跡地について ですが

1)研修センタ跡地 土地利用 転換計画の推進について

(1) 平成16年に 研修センタ跡地 土地利用 転換計画 策定事業概要書が発表されてから今日までの動きについて質問をします。

平成13年3月に NTT西日本研修センタは閉鎖をされました。

平成16年3月に 跡地 土地利用 転換計画が策定され発表されました。

議会の一般質問において、中西議員から19年20年と数回にわたり 詳細に 具体的な利用案の例を挙げての質問も繰返されていますが、鈴鹿市が担当する防災型広場ゾーンと産業支援ゾーンの進捗状況について、また、NTT西日本が進める健康福祉ゾーンの動きについても報告をお願いしたいと思います。


4. 市長


それでは、二点目のNTT西日本 鈴鹿研修センタ跡地の質問にご答弁申し上げます。

NTT西日本 鈴鹿研修センタ跡地の土地利用につきましては、これまでの議会でも御答弁させていただいておりますが、平成16年3月に土地利用転換計画 策定協議会が策定いたしました「NTT西日本 鈴鹿研修センタ跡地土地利用転換計画」を基本をしつつ、鈴鹿医療科学大学薬学部を核といたしまして、その南側につきましては、NTT西日本が企業努力により整備する区域とし、また北側は市が整備する区域として、それぞれの役割に基づき進めてまいりました。

市が整備する区域につきましては、まず防災型公園の現状についてでございますが、なるべく早い時期に市民の皆様に利用いただきますように現在、関係機関と整備しながら、事業計画の検討に入っており、これがまとまりましたなら、その概要について御報告いたしたいと考えております。

新産業支援ゾーンにつきましては、現在ものづくり支援センタの設置について、検討を行っておりますが、鈴鹿研修センタ跡地を一つの選択肢として調査を進めているところでございます。

また鈴鹿医療大学薬学部の南側のゾーンにつきましては、計画策定後からNTT西日本が、関係する企業に対しまして、アンケートやヒヤリングなどによります意向調査を行ってきております。

本年4月に薬学部が開校したことによりまして、計画に沿った健康・福祉などの企業の誘致がより具体化されることが見込まれますことから、引き続き関係する企業の意向の把握に務めているとのことでございます。

いずれに対しましても鈴鹿研修センタ跡地につきましては、本市全体の活性化に寄与することが期待されますことから、早い時期の整備が望まれるところでございます。

NTT西日本による民間の経営努力を中心に同センタ跡地の有効利用していただくことを基本とし、それらの進捗状況を見極めまいりたいと考えておりますし、同時に市の役割としての公共施設整備を進めて参りたいとかんがえておりますのでご理解賜りますようお願い申し上げます。

なお、詳細につきましては、企画財務部長から答弁をいたさせますので、よろしくお願い申し上げます。


5. 企画財務部長


それでは、「平成16年に発表しましたNTT西日本鈴鹿研修センタ跡地 土地利用転換計画の策定から今日までの動きはどうなっているか」という御質問につきまして、NTT西日本の動きも含めまして、私から一括して御答弁申し上げます。

転換計画策定後からの動きにつきましては、昨年の12月定例会の中西議員の御質問にも答弁させていただきましたように、核となります鈴鹿医療科学大学医学部は文部科学省の認可を得て、大学部分のゾーニングが確定したことを受けまして,関係部署が集まりまして、防災型広場ゾーンと新産業支援ゾーンの整備上の検討に入っております。

防災型広場ゾーンにつきましては、本市は東南海・南海地震・防災対策推進地域に指定されておりまして、この地域が人口密集地区でありますことから、防災対応機能を持った公園的空間として、整備しようというものでございます。

また、シンボルの桜並木を保全しつつ、野球場としての機能を維持させながら、計画いたしておりまして、防災型広場ゾーンの整備内容は、今後の基本計画を立案する中で検討してまいります。

なお、防災公園としての整備方針及び概要がまとまり次第、議員の皆様にご提示させていただきたいと考えておりますので、よろしくご理解を賜りますよう、お願い申し上げます。

次に、新産業支援ゾーンにつきましては、産業振興部におきまして、同跡地の一角を、中小企業支援の拠点として整備する「ものづくり支援センター」の設置候補地の一つとして、検討してきております。

その進捗状況につきましては、先ずは、ものづくり支援センターで実施予定のソフト事業の確立と拡充を目的に、平成17年度から準備に取り掛かり、企業OBアドバイザー派遣事業、企業巡回訪問事業、人材育成事業などを、平成18年度から、ものづくり動く支援室におきまして、実施いたしております。

平成19年度には、センター設置に関する議論を行う意見交換会を組織し、そして、平成20年度には、市としてのセンター化の考え方をまとめる作業を進めてきております。

今後は、この意見交換会を発展させた設置協議会を組織し、平成21年度に構想を策定し、設立準備に取り掛かる取り掛かることにしております。

このような、議論の過程で、設置場所につきましても、NTT西日本鈴鹿研修センタ跡地を一つの候補地として捉え、早急に検討していきたいと考えております。

最後に、薬学部の南側につきましては、土地所有者であるNTT西日本自らが、企業戦略をもって事業推進をするゾーンでございます。

本年3月末の市議会各派代表に通じまして、ご報告いたしましたが、土地利用転換計画策定後から、NTT西日本が行ってきました企業に対する進出意向調査の結果を受けて、NTT西日本が作成しました土地利用計画について報告がございます。

この土地利用計画案では、「生涯健康を実現するための新しい地域モデルづくり」を基本コンセプトとし、

の4つのエリアに区分したものでございます。

NTT西日本はこの土地利用計画に基づきました、継続して進出意向の把握に取組まれております。

現時点での状況としましては、新産業系の進出については、まだ具体化はしていないとのことであるますが、医療や健康、福祉関連などの施設について、進出の意向を示す事業者が数社あると伺っております。

なお、意向確認を行いました事業者からは、土地の完成時期、形状など条件の提示がない中では具体的な検討ができないとの調査結果から、NTT西日本は今後の予定いたしましては、もう少し精度の高い土地利用計画を作成し、進出意向をしめした事業者へのフォローや事業手法の検討を踏まえた再ヒアリングを実施し、事業進出の熟度を高めたいと考えているとのことでございます。

市長が申し上げましたように、跡地の活用は本市の活性化につながるものでございますので、早い時期の整備が望まれますことから、今後もNTT西日本とも連携しながら、それぞれの役割の中で跡地をもとより、中心市街地ににぎわいが戻ることを期待し、整備を進めてまいりたいと考えておりますので、よろしくご理解賜りますようお願い申し上げます。


6. 後藤光雄


資料お願いします。(ゾーン、施設も説明)

これだけ大きな10万坪という土地の利用についてですので,考えている防災型は7.5ヘクタールですか―――これだけでは緊急避難地なので「もっと広く」というようなことも込めて,引き続いて質問をさせていただきます.ありがとうございます.

跡地の利用転換計画のコア部分である医療科学大学の薬学部が開校できたということは、跡地利用の転換計画がうまく滑り出したことだけでなく鈴鹿市民にとって 大きな利益を受けられる機会が作られたと,そういうふうに感じております。

というのは10万坪という大きな土地が、利用されることなく存在していたわけですから、薬学部、つまり大学を中心に、また、大学と連携した健康・福祉にかかわる鈴鹿のまちづくりがスタートするのではという期待にあふれるものだからです。

慎重に、しっかりと進めていってほしいものだと思いますが、今回の金融変動による経済不況が、企業の採用取消しなどへと影響しているニュースなどを耳にしますと、80年前の経済恐慌と世界恐慌から戦争がおこり、それで、鈴鹿市が誕生して、国策として この研修センタの位置に海軍工廠が作られ、そして今、世界的な恐慌になりかねない経済状況を迎えているというのは、何かの繋がりを感じてしまいますけれども、企業の経営計画の変更も迫られる状況になっている今日ですので、転換計画の推進がますます難しくなりかねない状況であるのではないかというふうにも感じております。

回答によると、防災型広場ゾーンは、緊急避難場所を兼ねた防災公園に、新産業ゾーンはものづくり支援センターの一つ候補地としてとらえられている状況。

NTTが企業戦略を持って事業推進する健康福祉ゾーンは、「生涯の健康を実現するための新しい地域モデルを基本コンセプトに新産業展開ゾーンであるとか、リハビリテーション施設などを想定した医療健康福祉ゾーン

それから、高齢者住宅などを想定した特定目的住宅ゾーン

健康福祉の生活現場としての健康維持増進住宅ゾーンの4つにエリアに区分して、企業に進出意向調査をしているということですけれども、13年3月に閉鎖されてもう7年半が過ぎました。

16年3月に利用計画が策定されて4年半です。

今年の4月に大学薬学部がスタートをしたわけですが、この間、ずっと陸上競技場、ソフトボール場の旭が丘小学校に隣接する多目的広場の使用開放もお願いできないような状況がずっと続いてきております。

確か最終の策定会議の議事録に、「跡地利用のコンセプトはいいものとなったが、一体だれがこの土地全体のマネージメントをしていくのだろう」という疑問点が出されまして、これに対して、「地主であるNTT主導ではあるものの、全体的なコンセプト管理は 市が中心になってやらないとだめだと考えている」といった―――これは市側の発言がされています。

しかし、現状はそれぞれ担当に振って、結果待ちをしている状況で日にちが過ぎているのではないでしょうか。

跡地土地利用 転換計画 策定会議が解散したのちに、どうのように展開されていくかをチェックして、改善を含め、早期実現に向けたアクションをするために、跡地土地利用懇談会といったような、プロジェクトチームを組んでいくべきのではなかったでしょうか。

もちろん今からでも、そのようなものを組んでいただきたいというふうに思うわけですけど、

「この跡地利用は、東洋医学と西洋医学をマッチングした新しい健康福祉の在り方を日本中に発信できる鈴鹿市としての目玉となりうる場所である」というふうにも発言されています。

それを求めて、集まる人や、企業、産業の創設というコンセプトを大切に、早期実現のための懇談会によるチェックなどの作業が行われれば、健康のために体を動かすスペースの利用の為に、鈴鹿市民の人たちも集まて、医療科学大学の連携ももっと始まりやすい状況が生み出せたのではないかと想像するわけです。

少なくとも市民に何らかの利益が享受されたのではなかったでしょうか。

黙って塀(へい)の外から指をくわえて見続けて、何年ということが防げたのではないかというふうに感じております。

中西議員からの提案のように、社会変化による新しい意見が全体のコンセプトの中で、どうであるのかという議論が、市民に見える仕組みになり得たのではないか。

もっと具体的に言うと、旭が丘小学校の運動場の一部にソフトボール場を借り受けることも、陸上競技場や、テニスコートで 汗を流す機会も作りながら、この転換計画実現していくことが出来たのではないかということ。

もちろん何らかしらの、例えば、固定資産税の軽減とか、そういった事は発生するでしょうが、市民の利益につながった展開ができたのではないかと非常に残念に思っております。

先程も、ご覧にいただいた中に格納庫とかもありましたけれども―――続いて2番目の

2) 第一鈴鹿海軍航空基地の遺跡として、格納庫・滑走路・射撃場・正門・番兵塔が残っているが、二度と戦争をしないために、これらを貴重な文化財として保存することはできないかという質問に移らせていただきます。

鈴鹿市政60周年に発刊された「鈴鹿のあゆみ」によると、第一次世界大戦で、中国・青島(チンタオ)のドイツ軍要塞攻撃に参加して以来、日本海軍は 航空機の配備が戦略的に、いかに重要かを認識して、昭和12年(1973年に)「海軍 軍備 充実計画」を決定し、4年間に11ヶ所の航空隊と8ヶ所の練習航空隊を設置するという計画の一環として、昭和13年に第一鈴鹿海軍航空基地が今のNTT西日本研修センタ跡地にできたわけです。

続いて鈴鹿海軍工廠、第二鈴鹿海軍航空基地、三菱重工業関連施設、海軍施設部、海軍送信所などが東部の平坦地にできました。

陸軍第一気象連隊、陸軍第一航空軍教育隊、北伊勢陸軍飛行場、亀山陸軍病院などの陸軍諸施設が西部の丘陵地帯に建設されたそうです。

鈴鹿海軍航空隊が白子町に進出してきて、軍関連施設の拡大と地域発展のための合併として、一挙2町12か村の合併によって、鈴鹿市が誕生した訳です。

最初から、何回か言ってますように金融恐慌や、世界恐慌からの復興の手段として、戦争がおこったという事実を歴史が教えてくれてますけれども、今回の世界的な金融恐慌によって、戦争が勃発しかねない状況にあると語っている学者もいます。

そんなことにならないように願っている一人として、あの痛ましい戦争の遺跡を後世に残すということで、その戦争をしない気持ちを強く永遠に引き続いていってもらうために、例えば、特攻隊で有名な知覧―――博物館を残したりして、すごく全国から人々が集まってきていますけれども、実は、鈴鹿からも約200人の学生・生徒が白菊特攻隊として、出陣された事実を伝えていくということも大切なことではないかというふうに思います。

先程、言いましたこのNTT西日本研修センタ跡地には、格納庫3棟、発動機整備場、正門、番兵塔、コンクリート製の号令台が現在も残っております。

そして、海軍飛行兵を慰霊する「碧空(へきくう)」の碑もあります。

是非とも文化財に指定して保存をして、平和利用して欲しいという要望書も提出されたというふうに聞いております。

鈴鹿市では、すでに三畑町の北伊勢陸軍飛行場掩体(えんたい)が、国の登録文化財に登録されており、市の考古博物館での企画展「戦争遺跡を掘る」―――これは2002年に行われたことです――それや、各種出版物の発刊などで戦争遺跡の保存・活用に積極的に取り組まれておりますけれども、この研修センタ跡地に残る遺跡群の文化財指定と保存についてのお考えをお聞きかせください。


7. 文化振興部長


それでは、私からNTT西日本研修センタ跡地の格納庫など戦争遺跡の文化財指定とその保存についてお答えを申し上げます。

市内の戦争遺跡につきましては、平成14年7月に市制60周年を記念いたしまして、「鈴鹿市のあゆみ」―軍都から平和都市へ―と題した冊子を発刊するとともに、同じ時期に、考古博物館におきましても、「戦争遺跡を掘る」と題した企画展を開催いたしました。

「鈴鹿しのあゆみ」では、平和の尊さを市民の方々に伝えるため、市内に点在する戦争遺跡や軍関連施設が、戦後様々に転用され、本市が平和産業都市へ変容してきた様子を資料としてまとめ、記録することをとおして、その保存や活用を考えてきたところでございます。

また、議員からご質問いただいたとおり、本年6月6日付け文書で、「鈴鹿市の戦争遺跡を保存、平和利用する市民の会」から鈴鹿市長並びに鈴鹿市文化財調査会にあてまして、旧第一鈴鹿海軍航空基地格納庫郡他の文化財指定及び保存に関する要望書が提出されました。

市といたしましては、市文化財調査会長と協議の上、7月8日に開催された市文化財調査会で報告させていただきました。

第二次世界大戦の戦争遺跡は、時代背景から考えましても文化財に指定するのには新しく、また、市内に散在するすべての戦争遺跡を保存することは困難であるため、文化財指定をして保存、活用していく必要のある戦争遺跡が市内にあるのかを、次回の文化財調査会でご審議いただくことにいたしました。

議員ご指摘のNTT西日本研修センタ跡地の遺跡群の保存についての市の方針は、NTT西日本鈴鹿研修センタ跡地土地利用転換計画を念頭に置きつつ、文化財調査会からご意見をいただきながら判断してまいりたいと考えております。

なお、ご承知のとおり、文化財指定につきましては市文化財保護条例施行規則 第3条によりまして所有者の申請が必要であります。

従って、議員ご指摘の旧第一鈴鹿海軍航空基地格納庫郡を文化財指定するためには現在の所有者でありますNTT西日本株式会社からの申請が必要でありますことをご理解いただきますようお願いを申し上げます。


8. 後藤光雄


なかなか簡単にことが進まないということがよくわかります。

先程の、閉鎖されたままになっているセンタ跡地ですけども、市民のために何か利用ができたのではないかということにつながってくるのですけれども、つい先日でしたか、日にちはちょっと忘れましたが、ロシアとグルジアがいろいろと緊張の中で、いろいろなことが起こっています。

それから、また各地のテロも起こり始めています。

これは経済学者に言わせると、全てつながっていて、この経済恐慌は、2001年のテロから、すべてつながっているだというようなことを述べている経済学者もいるわけですけれども、決して、何度も言いますが、戦争につながらないということを、今も現存する鈴鹿の遺跡教育を子どもたちに目の前に学習する機会を、ぜひ作っていただきたい。

鈴鹿の子どもたちにそういた心を持ち続けるように、この機会を与えてほしいと強く思います。

NTT西日本さんの持ち物ですので、申告が必要だということですから、いろいろな方法が取れるのではないかというふうに思います。

文化部長のご答弁のように、文化財指定の申請も必要になってくるわけですね。

しかし、利用転換計画に遺跡の保存ということには、触れていませんので、このままでは、NTT西日本さんの担当する健康福祉ゾーンの事業展開が始まる段階で、残念ながら、遺跡が取り壊されていくのを黙ってみていることしかできない状況にしかないのかなあと思います。

としますと、平成20年頃までにはそんな遺跡がありましたというようなことになってしまう気がして、残念でなりません。

「鈴鹿に生まれてよかった」ということをぜひ子どもたちに思っていただきたいと思うわけですけども、そんなところにつながる財産の一つでもあると思いますので、20年後、30年後いや100年後の鈴鹿の子どもたちのことも考えて、取り壊されてしまう前に、ぜひ生きた教材として活用することをお願いをしたいと思います。

それから、「鈴鹿のあゆみ」というこの2002年7月市制60周年記念に作られた冊子ですけれども、非常に詳しく、写真入りであります。

ところが、残数がないということで非常に残念です。

ぜひこれを増刷していただいて、もっと鈴鹿の方々に目に触れるようにしていただきたい。

また、例えば、中学生用の副読本化にも私はいいのではないかと、鈴鹿の歴史を知っていただく上でも非常にいいのではないか。

また、金沢市の英語教育特区として、やっておりますけれども、自分の町の歴史を英語でしゃべれるようなそんな教材を作っております。

ぜひそんな「鈴鹿のあゆみ」を鈴鹿の子どもたちが英語で外国の人に説明ができるとそんなようなことを利用できるような活かし方もしていってほしいなあと。

そうしますと、例えば、建物ですから、いつかやがて壊れてしまうかもしれませんが、写真でありますとか、そういった経緯がしっかりと受け継がれて、戦争を二度と起こさないという精神が受け継がれるのではないかというふうに―――これも文化振興部・教育委員会の方にお願いをしておきたいと思います。

3)残された施設の再利用の面からも、広域防災拠点となりうる総合型防災公園兼総合運動公園と位置付けられないか―――という質問に移ります。

薬学部の北側、防災型広場ゾーンについては、野球場としての機能を維持させながら緊急避難地として計画をしていて、整備内容は今後の基本計画立案の中で検討していくとのことですけれども、19年度地震防災特別委員会での勉強会の中で、いつ起こるかわからない東海・南海・東南海地震が、もしも、同時に起きた場合、鈴鹿市の地形や地質から考えると、大きな揺れのあと、2分間ほど揺れ続けると、そんな可能性があることをシミュレーションされました。

人口密集地域の白子地区、津波や、浸水の被害などを受けやすい低地に隣接する広大な土地として、災害からの緊急避難地としての位置づけだけでなく、減災の為にも、この広大な地域を利用しながらの跡地利用計画が推進できないかと考えると、NTT西日本に事業展開をお任せてしている健康福祉ゾーンも、市が「地域防災拠点」として、また兼総合運動公園として底地を抑えて、残された施設の再利用も含めながら、転換計画策定会議のコンセプトを受けた展開ができるようにしていくことはできないでしょうか。

お考えをお答えください。


9. 企画財務部長


それでは、転換計画上の健康・福祉ゾーンに位置付けされている土地を防災型広場ゾーンと合わせて、「総合防災公園 兼 総合運動公園」として位置づけ、公共で整備したらどうかというご提言でございますが、この跡地が広大な面積と周辺地域の環境から土地利用について様々な可能性を極めた土地であること、また、大規模地震などが発生しますと非難場所としての空間が必要になりますこと、こういったこと十分に理解をいたしております。

ただ、現在整備を検討しております。防災公園の面積は約7・5haでございます。

薬学部の南側の健康・福祉ゾーンも含めますと相当な財政負担が伴うものと考えられます。

それと、先ほども申し上げましたように、跡地の土地利用転換計画につきましては、地権者でありますNTT西日本のほか、学識経験者、三重県、経済界、こういったメンバーの協議会を設置し、また同時に、SUZUKA産学官交流会のメンバーによる研究会を設置して、両組織で議論を重ね策定されたものでございます。

このような経験からしましても、NTT西日本が自らも策定に関った跡地土地利用転換計画の主旨を尊重して、その財産の処分、利活用については、NTT西日本自らの経営努力により進めることが第一義と考えておりますし、市の防災公園の整備は計画い基づき推進に努めるのが大切だと考えております。

なお、薬学部の南側ゾーンにつきましては、鈴鹿工業高等専門学校及び鈴鹿医療科学大学薬学部に隣接します。

産業や医療・福祉関係の事業の創出が見込まれる環境が整っておりますことから、関係します事業者が進出することで、市民の健康福祉の増進に大きく貢献するとともに、民間が進出することによりまして、財を産む区域と位置付けております。

健康福祉の生活の場として、高齢者に対応した「健康維持増進住宅ゾーン」の展開の可能性もありますが、今後においても、民間による跡地の土地活用を中心に考えて、NTT西日本とも連携しながら、行政としての役割をはたしてまいりたいと考えておりますので、ご理解賜りますようお願いを申し上げます。


10. 後藤光雄


跡地土地利用転換計画を策定した経緯は承知のうえで、経済変動も考慮した対応をするために、懇談会なりプロジェクトを組んで、事業の早期実現に向けて動き出してほしいという、最初の考えに乗った考えを述べさしてもらうわけですけれども、策定会議の議事録の中でも触れられておりましたけれども、防災公園街区整備事業として位置づけて展開すれば、例えば、50ha以上の広域防災拠点、これはもう50haですので無理です―――10万坪ですから,33haですね.

10ha以上の地域防災拠点の機能を有する公園としての整備ができないかということになるわけですけれども、市がいう7.5haの防災公園ゾーンだけでなくて、陸上競技場の跡地も含むゾーンを、今後開催計画がある、インターハイ、国体の会場としての利用も含めた運動公園としての兼用を組み合わせられたら、緊急避難地としてだけの防災公園ではなくて、防災拠点公園としての展開を、跡地利用転換計画とラップできないかというふうに思うわけです。

防災緑地緊急整備事業実施要綱などをみると、土地取得費の1/3、施設の1/2の補助があったり、また、土地取得については全額の無利子貸し付けがあります。

返済も5年据え置いて、20年の割賦(かっぷ)返済があるようです。

鈴鹿市の状況を、各課にいろいろ尋ねますと、いろんな意見が出てきます。

運動施設が不足しているんだとか。

しかしこういった全体の事業、シティセールスもそうですけれども、企画のほうで先導していただくと、振られれば、スポーツ課のほうから、例えば、運動施設がほしいだということが出てきますけれども、普段かかえているものが組み上げられて、企画の方から全体で事業が作られていかないような気がしてなりません。

計画するのもお仕事なんですけれども、実現に向けての努力というのが最も大事でして、市民の負託を受けている以上、市民の利益や財産を守るために、各課のを組み上げてうまく調整していって対応していただきたい。

ひとつの鈴鹿市というふうに、先ほど白子の駅の時に言いましたけれども、市役所は市民にとってひとつです。

ひとつの市役所としての取り組みをお願いして、私の質問を終わわせていただきます。


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