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「オンリー・ワン・ライフ(たったひとつの命)」

2001年12月26日に他界した母の生前(1997年)に寄稿した文章が出てきました。
母の心がよく書かれていますので、よろしかったらお読みいただけたらと思います。

誌名 「文集 やすらぎ」第24号
発行 坂下町老壮会連合会
発行日 1997年(平成9年)6月

「オンリー・ワン・ライフ(たったひとつの命)」

垂見やとみ

 わたしは、今から30年位まえの6月16日、この日貴重な体験をいたしました。
 当時小学校3年になる、三男で茂樹という子供がおりました。その三男に向かって「もしもよその家に茂樹と同じ名前の子がいたにしても、垂見茂樹は世界中で、おまえがたった一人なんだよ」なんて夢中に話をしたことがございます。

 最近では、よる年波に勝てず、老化してゆく自分をみながら、改めて命ってことを考えると、それはすごく複雑で、簡単に申し上げることが、できないのでございます。
 今回、古いノートを開いてみましたら、若いころに感じていた、その大切な命ってことの体験がしたためてありました。当時は、主人の勤務の関係で、木曽郡楢川村に住んでいるときのことでした。

 重く垂れ込めた空、黒い山々がこの里をすっぽり押し潰しそうな夕暮れ時、いよいよ本格的な梅雨に入るのだと感じる。
 私は夕食の支度に取り掛かる前の一刻を、新聞に目をやる。外には毬投げをしているらしい子供たちの声が、遠く近く耳元を掠めた。と、突然、キュウッと物凄いトラックの急ブレーキの音がいたしました。
 家のすぐ上を19号線が通っているのですが、頻繁に事故の起きた地点でしたので、本能的にとっさに立ってお勝手の窓を開けておりました。
 急停車したトラックの側に、我が家の茂樹が、蒼白な顔をして車の下を覗き込むようにして立っておりました。普段でも色の白い方の子であるが、その顔色からの様子にも何事か起こっていると知らされて、とにかく外に飛び出してみました。
 毬投げをしていたメンバーも散っているのに気づいたのです。国道にあがってみると隣のH君が顔を打って血を流したまま運転手さんに抱かれていて、蒼白な運転手さんの唇が慌てておりました。私は医者と警察への連絡を手伝ってあげました。
 検証の結果、事故でなく国道に飛び出したところ、車がきたので夢中になって逃げたとたん、石垣にぶつかっての怪我ということでした。幸いにして怪我はたいしたこともなく本当によかったと思いました。
 茂樹とH君は毬を拾う側にいて、たまたま国道に毬が飛んでいったのだそうです。それを拾いにでて茂樹が石垣の上に逃げて、H君がちょっと遅れてこのような怪我になったのだという。
 検証も終わり、我に返ってあたりを見ると、茂樹が見当たりません。私は急いで家に戻ったのです。玄関に履き物が脱いであるのにいないのです。押し入れも浴室やトイレまでも茂樹の名を呼びながら、探したけれどいないのです。
 今の今まで、しっかり戒めるのはこの時だと思って家に戻った私でした。
 きっと鏡で見たら凄く恐ろしい顔をしていたことでしょう。それがどうでしょう、家の中に見当たらない吾が子が、今、急に心配になってきました。一緒に遊んでいた友が目の前で一瞬にして血まみれになるさまを、まざまざと見てどんなにか驚き悲しんでいることだろう、と私はしだいに不安が次から次へと湧いてまいりました。
 私はふっと思いあたることがあって、倉庫を開けてみました。
 茂樹はいた。良かったと思う瞬間私は駆け寄って「びっくりしたね、怪我はなかった?」というと、茂樹はとっさに私の腕の中に固くしがみついてきました。そして「お母さん、怖かった」と泣き声で、それが精一杯の言葉とわかりました。私は強くくっついている子供の身体がしだいに緊張からほぐれて、安堵に変わるのを覚えました。ようやく落ち着いた口調で話が出来るようになって、私は優しく「お母さんはせっかく、お前を欲しくて産んだのだよ。他の家に茂樹と同じ名前の子がいたとしても、垂見茂樹は世界中でお前がたった一人なんだよ」そして自分が大切だから他人も大切にしようねなんてかけがえのない話をしました。茂樹は、頬に伝わる涙をふきもせず、じっと聞いておりましたが、「うん」と最高の素直さで、強く頷いたのです。そして久しぶりに肩を組んで家の中へと入ったのです。

 私はこの子が成人になるまでは、まだまだ幾多の波風に当たってゆかねばなりません。
 茂樹よ!!もっともっと強くなってくれ・・・・・・この出来事もひとつの試練だったのだと・・・そして真実の生命の尊さを、身をもって更に強く知らされた大切な一日であったと思いました。
 オンリーワンライフ!!オンリーワンライフ!!と自分に改めて言い聞かせた一日であった、と・・・・・・

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